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海外赴任中の所有者がマンションを売却──日本非居住者が直面する納税管理人選任・源泉徴収・確定申告の壁を越えた8ヶ月間の記録

  • 5月20日
  • 読了時間: 10分

  突然の海外赴任命令──東京のマンションをどうするか


 2023年4月、大手メーカーに勤務する田村健一さん(仮名・42歳)のもとに、シンガポール赴任の内示が届いた。

赴任期間は最低3年、延長の可能性あり。

田村さんは東京・世田谷区に築12年のマンションを所有していた。

住宅ローン残債は約2,800万円。

当初、田村さんは「帰国まで賃貸に出せばいい」と軽く考えていた。

しかし、調べれば調べるほど、海外赴任中の不動産所有がいかに複雑かを思い知ることになる。

非居住者になれば確定申告の義務が生じる。

賃貸収入に対しても源泉徴収が発生する。

管理会社とのやり取りも時差との戦いになる。

さらに、3年後に本当に帰国できる保証はどこにもない。

田村さんは決断した。

「赴任前に売却する」と。

だが、この決断が想像以上の困難を呼び込むことになる。



  非居住者の壁──出国前に売却が間に合わない現実


 内示から赴任まで、与えられた時間は3ヶ月。

田村さんはすぐに不動産会社に査定を依頼した。

査定額は4,200万円。

住宅ローン残債を差し引いても、約1,400万円の売却益が見込める。

「これなら十分だ」と田村さんは安堵した。

問題は時間だった。

内覧対応、価格交渉、契約、決済──通常でも2〜3ヶ月はかかる。

しかし赴任日は7月1日と決まっている。

不動産会社の担当者は首を横に振った。

「正直、出国前の売却完了は厳しいです」

田村さんの顔が曇る。

出国後に売却を進めるということは、「非居住者」として取引を行うことを意味する。

日本の税法上、1年以上海外に居住する予定で出国すれば、その時点で非居住者となる。

非居住者がマンションを売却する場合、買主は売買代金の10.21%を源泉徴収して国に納めなければならない。

4,200万円の物件なら、約429万円が売却代金から差し引かれる計算だ。

田村さんは初めて、海外赴任者の売却がいかに特殊な世界かを知った。



  納税管理人という存在──日本国内に代理人を立てる義務


 非居住者が日本国内で不動産を売却し、譲渡所得が発生する場合、確定申告の義務が生じる。

しかし海外にいる本人が直接申告することは現実的ではない。

そこで登場するのが「納税管理人」という制度である。

納税管理人とは、非居住者に代わって税務署とのやり取りや申告手続きを行う代理人のことだ。

田村さんは当初、実家の父親に頼もうと考えた。

だが、父親は75歳。

税務の知識もなく、複雑な書類作成を任せるには不安が残る。

不動産会社の担当者が助言した。

「税理士に納税管理人を依頼するケースが増えています」

報酬は発生するが、確実性と安心感は段違いだという。

田村さんは海外赴任者の不動産売却に詳しい税理士を紹介してもらった。

初回の相談で税理士が説明したのは、次の3つのポイントだった。

第一に、出国前に「納税管理人の届出書」を所轄税務署に提出すること。

第二に、売却代金から源泉徴収された金額は、確定申告で精算できること。

第三に、居住用財産の3,000万円特別控除は、一定条件を満たせば非居住者でも適用可能であること。

田村さんはようやく全体像を把握し始めた。



  出国直前の準備──委任状と印鑑証明の確保


 2023年6月中旬。

田村さんの出国まで残り2週間。

マンションはまだ売れていない。

内覧希望者は3組来たが、いずれも成約には至らなかった。

出国後に売却を進めることが確定し、田村さんは必要書類の準備に追われた。

最大の問題は印鑑証明書だった。

海外転出届を出すと、住民票が除票となり、印鑑登録も抹消される。

つまり、出国後は日本国内で印鑑証明書を取得できなくなる。

不動産売却には印鑑証明書が必須である。

解決策は二つあった。

一つは、出国前に印鑑証明書を複数枚取得しておくこと。

もう一つは、在外日本大使館で「署名証明」を取得すること。

田村さんは念のため、出国前に印鑑証明書を3通取得した。

さらに、不動産会社への売却委任状、税理士への納税管理人委任状、司法書士への登記委任状を作成した。

委任状には「売却価格の決定」「契約締結」「代金受領」など、具体的な権限を明記する必要がある。

曖昧な記載では、後々トラブルになりかねない。

税理士と司法書士が文面を確認し、修正を重ねた。

出国の3日前、すべての書類が整った。



  シンガポールからの遠隔売却──時差との戦いが始まる


 2023年7月1日、田村さんはシンガポールに着任した。

時差は1時間。

東京との連絡は比較的取りやすい環境だった。

しかし、新しい職場での業務は想像以上に忙しい。

日本の不動産会社からの連絡に対応できるのは、昼休みか夜間に限られた。

7月中旬、ようやく購入希望者が現れた。

30代の共働き夫婦。

希望価格は4,050万円。

査定額より150万円低いが、田村さんは即決した。

これ以上待てば、次の買主がいつ現れるかわからない。

ここで新たな問題が浮上した。

買主側の仲介会社が、非居住者との取引に慣れていなかったのだ。

「源泉徴収の手続きがよくわからない」

「委任状だけで契約できるのか不安だ」

買主側の仲介会社からの質問が相次いだ。

田村さん側の不動産会社と税理士が、何度も説明を繰り返した。

この調整だけで3週間を要した。


図1|非居住者のマンション売却における資金フローと源泉徴収の仕組み(2023年度税制より編集部作成)
図1|非居住者のマンション売却における資金フローと源泉徴収の仕組み(2023年度税制より編集部作成)


  源泉徴収10.21%の衝撃──売却代金から429万円が消える


 2023年8月下旬、ようやく売買契約が締結された。

田村さんは契約書に署名するため、一時帰国を検討した。

しかし、業務の都合で帰国は叶わなかった。

結局、事前に準備した委任状を使い、代理人による契約締結となった。

売買価格は4,050万円。

ここから住宅ローン残債2,800万円を差し引くと、手元に残るのは1,250万円のはずだった。

しかし、非居住者の売却には源泉徴収がかかる。

4,050万円の10.21%、つまり約413万円が買主によって源泉徴収され、国に納められる。

田村さんの手元に残る金額は、1,250万円から413万円を引いた約837万円。

「え、そんなに引かれるんですか」

田村さんはシンガポールのオフィスで絶句した。

税理士がすぐにフォローした。

「この源泉徴収分は、確定申告で精算できます」

譲渡所得が3,000万円以下であれば、居住用財産の特別控除が適用される可能性がある。

その場合、源泉徴収された金額の大部分が還付されるという。

田村さんは少し安堵したが、還付は翌年の確定申告後。

つまり、数百万円が半年以上も「立て替え」状態になる。

資金繰りに余裕がなければ、この立て替え負担は致命的だ。



  決済日の攻防──司法書士との連携が鍵を握る


 2023年9月中旬、決済日を迎えた。

通常、不動産の決済には売主本人の立ち会いが求められる。

しかし田村さんは海外にいる。

司法書士が事前に本人確認を行い、委任状と印鑑証明書で代理決済を進めることになった。

問題は、住宅ローンの抵当権抹消だった。

金融機関は原則として、決済当日に売却代金が入金されたことを確認してから抵当権抹消書類を交付する。

しかし、売主が海外にいる場合、確認作業に時間がかかる。

田村さんの利用する金融機関は、事前に「海外赴任中の売却」である旨を伝え、必要書類を揃えておくことで対応してくれた。

決済当日、司法書士・買主・買主側仲介会社・売主側仲介会社が銀行に集合。

田村さんはシンガポールからビデオ通話で参加した。

すべてが順調に進み、午後3時に決済が完了。

田村さんの口座には、源泉徴収後の金額が振り込まれた。



  3,000万円特別控除の適用条件──非居住者でも使えるのか


 売却は完了したが、田村さんの戦いはまだ終わらない。

源泉徴収された約413万円を取り戻すため、確定申告が必要だ。

ここで重要になるのが、「居住用財産の3,000万円特別控除」の適用である。

この特例は、マイホームを売却した際の譲渡所得から最大3,000万円を控除できる制度だ。

問題は、非居住者に適用されるかどうか。

結論から言えば、一定の条件を満たせば適用可能である。

条件の一つが、「住まなくなった日から3年を経過する日の属する年の12月31日までに売却すること」だ。

田村さんは2023年7月に出国し、同年9月に売却を完了している。

出国からわずか2ヶ月後の売却であり、条件を満たす。

もう一つの条件は、売却相手が配偶者や親子など特別な関係者でないこと。

今回の買主は第三者であり、これも問題ない。

税理士が計算したところ、田村さんの譲渡所得は約650万円だった。

3,000万円の特別控除を適用すれば、課税対象となる譲渡所得はゼロになる。

つまり、源泉徴収された約413万円は全額還付される計算だ。



  確定申告の壁──納税管理人が動く


 2024年2月、確定申告の時期がやってきた。

田村さんは引き続きシンガポールに滞在している。

日本での確定申告は、納税管理人である税理士が代行した。

必要書類は以下の通りだった。

売買契約書の写し。

取得時の売買契約書(12年前のもの)。

仲介手数料の領収書。

源泉徴収された金額を証明する書類。

登記事項証明書。

住民票の除票。

田村さんは12年前の購入時の書類をどこに保管したか、すぐには思い出せなかった。

実家に帰省中の妻が、押し入れの奥から書類の束を発掘した。

「あった」というLINEのメッセージが届いたとき、田村さんは心底安堵した。

取得時の売買契約書がなければ、概算取得費(売却価格の5%)で計算することになる。

その場合、譲渡所得が大幅に増え、還付額が減ってしまう可能性があった。

税理士が申告書を作成し、3月上旬に税務署へ提出。

還付金の振込先は、田村さん名義の日本国内の銀行口座を指定した。



  還付金413万円が振り込まれた日


 2024年4月中旬。

田村さんのスマートフォンに、銀行アプリからの通知が届いた。

「入金 4,127,205円 ゼイムショ」

源泉徴収された金額が、ほぼ全額還付されたのだ。

田村さんは思わずガッツポーズをした。

周囲のシンガポール人同僚が不思議そうな顔で見ていた。

売却を決意してから約1年。

実際の売却活動開始から還付金受取りまで、約8ヶ月。

長い道のりだったが、結果的には満足のいく形で終えることができた。

最終的な収支を整理すると、以下のようになる。

売却価格4,050万円から、住宅ローン残債2,800万円を返済。

仲介手数料約140万円、登記費用・各種手数料で約20万円。

税理士報酬(納税管理人業務含む)で約30万円。

源泉徴収された約413万円は全額還付。

手元に残った金額は、約1,060万円だった。



  海外赴任者が売却前に必ず確認すべき5つのこと


 田村さんの事例から、海外赴任者がマンション売却で押さえるべきポイントを整理する。

第一に、出国前に売却完了できるかどうかを冷静に見極めること。

時間的余裕がなければ、非居住者としての売却を前提に準備を進める方が現実的だ。

第二に、納税管理人を早期に選任すること。

税理士に依頼すれば報酬は発生するが、複雑な税務処理を確実に遂行してもらえる。

第三に、出国前に印鑑証明書を複数枚取得しておくこと。

海外転出届を出すと印鑑登録が抹消されるため、事前の準備が必須だ。

第四に、購入時の売買契約書を必ず保管しておくこと。

取得費が証明できなければ、譲渡所得が大幅に増え、税負担が膨らむ。

第五に、源泉徴収分の「立て替え」に耐えられる資金計画を立てること。

還付は翌年の確定申告後になるため、数百万円が半年以上拘束される。




編集部まとめ


海外赴任中のマンション売却は、国内居住者の売却とは全く異なる世界である。

源泉徴収10.21%という制度は、知らなければ致命的な資金ショートを招く。

納税管理人の選任、印鑑証明書の事前取得、委任状の作成──どれも出国前に済ませておかなければ、売却活動そのものが立ち行かなくなる。


しかし、適切な準備と専門家のサポートがあれば、海外からでも売却は完了できる。

3,000万円特別控除は非居住者でも適用可能であり、源泉徴収された金額の還付も受けられる。

田村さんの8ヶ月間は、決して平坦な道ではなかった。

だが、事前準備と専門家との連携が、最終的な成功を引き寄せた。

海外赴任が決まったら、まず不動産と税の専門家に相談すること。

それが、無用なトラブルを避ける最善の一手である。


執筆:マンション売却ジャーナル編集部

メタタイトル:海外赴任中のマンション売却|全手続きの記録

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