高齢の親の施設入居に伴うマンション売却──3000万円特別控除の期限管理・認知症リスクへの備え・介護費用の資金計画を両立させ、家族全員が納得する売却を実現した実践記録
- 6月24日
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あなたは「親の施設入居」を"いつか"の話だと思っていないか
「認知症になってからでは遅い」。
この言葉を聞いて、自分には関係ないと思う人が大半だろう。
しかし、高齢の親を持つ50代・60代の読者にとって、「施設入居に伴うマンション売却」は、ある日突然目の前に現れる現実である。
本稿で取り上げるのは、78歳の母親の施設入居を機に実家マンションを売却したAさん(54歳・会社員)の実践記録だ。
3000万円特別控除の「3年期限」と母親の認知症リスクの両方と戦いながら、介護費用の資金計画を立て、きょうだい3人全員が納得する売却を成し遂げた。
この事例には、高齢親の不動産売却で失敗しないための判断軸が詰まっている。
「現状維持バイアス」が資産を凍結させる
人間には「変化を避けたい」という本能がある。
行動経済学で「現状維持バイアス」と呼ばれるこの心理は、不動産売却の場面で最悪の結果を招く。
「まだ母は元気だから」「施設に入っても実家は残しておきたい」——こうした感情が判断を鈍らせ、売却のタイミングを逸する。
認知症で親の意思能力が不十分だと判断された場合、不動産の売買はできない。
所有者が認知症になってしまうと不動産を売却することがとても大変であり、名義人は売却すべきかどうかの判断ができないため、成年後見制度の手続きが必要になる。
つまり、「いつか売ろう」と先延ばしにしているうちに、親が認知症を発症すれば、そのマンションは事実上「凍結資産」と化す。
これは決して他人事ではない。
Aさんのケース——母の施設入居で「待ったなし」の売却が始まった
Aさんの母・C子さん(78歳)は、3年前に夫を亡くして以来、東京郊外の駅徒歩8分・築25年のマンション(70㎡・3LDK)で一人暮らしを続けていた。
2025年秋、C子さんが自宅で転倒し、大腿骨を骨折。
入院中のリハビリを経て、主治医から「一人暮らしは困難。施設入居を検討すべき」との診断が下された。
C子さん自身も「子どもたちに迷惑をかけたくない。施設に入る」と希望した。
問題は、施設入居費用をどう工面するかだった。
老人ホームの月額費用は平均23.3万円、入居一時金の中央値は60万円(介護付き有料老人ホーム)。
C子さんの年金は月額14万円。
差額の約10万円を毎月どこからか捻出しなければならない。
加えて、入居一時金や予備費も必要だ。
Aさんときょうだい2人(妹・弟)は、実家マンションの売却を決断した。
「3年ルール」——3000万円特別控除の期限が迫る
ここでAさんは、重大な時間制限に直面した。
居住用財産の3000万円特別控除は、転居済みの場合、転居後3年目の年末までの売却であることが要件となる。
売却契約が成立し、実際に引渡しが完了するまでの期間も重要であり、居住をやめた日から3年目の12月31日までに売却と引渡しが完了していることが求められ、この期限を過ぎると、特例の適用ができなくなる。
C子さんが施設に入居したのは2025年12月。
つまり、2028年12月31日までに売却・引渡しを完了しなければ、3000万円特別控除が使えなくなる。
仮にマンションが2500万円で売れ、取得費と譲渡費用を差し引いた譲渡所得が2000万円だったとしよう。
特例を適用すると、売却益から最大で3000万円を差し引くことができ、課税対象となるのは3000万円を超えた部分だけになる。
2000万円の譲渡所得なら、控除後は課税所得ゼロで税金はかからない。
しかし特例を使えなければ、2000万円×20.315%=約406万円の税負担が発生する。
Aさんは「406万円の差」の重みを理解し、期限から逆算したスケジュールを立てた。
認知症リスクとの戦い——「意思能力」があるうちに動く
もう一つ、Aさんを急がせた要因がある。
C子さんに軽度認知障害(MCI)の兆候が見られ始めていたのだ。
物忘れが増え、同じ話を繰り返す。
主治医からは「現時点では意思能力に問題はないが、進行する可能性がある」と告げられた。
成年後見制度とは、認知症などで判断能力が低下した方のために、法律行為のサポート役を選任する制度であり、成年後見人は本人に代わって不動産売買の手続きを進めることができる。
法定後見の場合、選任申立後、家庭裁判所が親族への照会作業や本人調査、医師による鑑定を行うため、後見人選任の審判が下りるまで通常1.5〜3ヶ月程度かかる。
審理期間については個々の事案により異なるが、多くの場合、申立てから法定後見の開始までの期間は4か月以内となっている。
さらに、
居住用の不動産の売却は成年後見人であっても家庭裁判所の許可を取らなければ売却できない。
つまり、C子さんが認知症を発症してから売却しようとすれば、後見人選任に4ヶ月、さらに家庭裁判所の売却許可に数ヶ月、そこから買主探しに半年——下手をすれば3年ルールに間に合わなくなる。
Aさんは「母の意思能力があるうちに売却を完了させる」という方針を固めた。
「損失回避バイアス」を乗り越える——きょうだいの合意形成
売却方針は決まった。
しかし、きょうだい間の合意形成という壁がAさんを待ち受けていた。
弟は「実家を売るのは寂しい。母が帰れる場所がなくなる」と反対。
妹は「売却益は将来の相続にも関わる。高く売れなければ損」と慎重姿勢だった。
ここでAさんが活用したのが、「損失回避バイアス」を逆手に取る説明法である。
人間は「得をすること」より「損をしないこと」を強く意識する。
Aさんは弟と妹に、以下の数字を示した。
「今売れば税金ゼロ。3年後に売れば約400万円の税負担。さらに母が認知症になれば、後見人費用が月2〜6万円×数年間、加えて売却許可が下りないリスクもある」
法定後見制度は一度開始してしまうと基本的に途中でやめられず、成年後見人等に弁護士などの専門家が選ばれると、被後見人が亡くなるまで報酬を支払うことになる。
「売らないことのリスク」を数字で可視化したことで、弟も妹も納得した。
これは、説得ではなく「損失の見える化」という技術だ。
売却活動の実際——「高齢親の物件」に潜むハードル
2026年1月、Aさんは地元で実績のある仲介会社2社に査定を依頼した。
査定額はA社が2600万円、B社が2450万円。
Aさんは「囲い込み」リスクを避けるため、一般媒介契約で2社に依頼することを選んだ。
売り出し価格は2680万円に設定。
査定額より高めに設定したのは、「アンカリング効果」を狙ったからだ。
最初に提示された数字が、その後の交渉の基準点となる。
高めの価格を最初に見せることで、値引き交渉後の成約価格を引き上げる狙いがあった。
ただし、高齢親の物件には特有のハードルがある。
C子さんは施設入居後も物件の名義人であり、売買契約には本人の署名・捺印が必要だ。
仲介会社の担当者は「契約時に施設まで伺い、お母様の意思確認をさせていただきます」と説明した。
現役営業マンの証言では、高齢者が名義人の売却案件では、契約直前に「やはり売りたくない」と翻意するケースや、署名時に意思能力を疑われるケースがあるという。
Aさんは、C子さんの主治医に「売却に関する意思能力に問題がない」旨の診断書を依頼し、万一のトラブルに備えた。
「2026年問題」——金利上昇が買い手の予算を縮小させる
2026年のマンション市場は、売り手にとって逆風だった。
日銀の利上げにより住宅ローン金利が上昇。
買い手の借入可能額が縮小し、成約価格と売り出し価格の乖離が拡大していた。
Aさんの物件にも、内覧は入るが購入申込には至らない日々が続いた。
売り出しから2ヶ月が経過した3月、Aさんは仲介会社と協議し、価格を2480万円に改定した。
「損切り」ではなく「市場適応」と捉えた判断だ。
4月上旬、ようやく購入申込が入った。
申込価格は2400万円。
Aさんは「2450万円なら即決する」と返答し、2450万円で合意に至った。
契約・決済——C子さんの「意思確認」という最後の関門
2026年4月下旬、売買契約の日を迎えた。
契約は買主の希望で買主側仲介会社の事務所で行われたが、C子さんは施設から外出できないため、Aさんが代理人として契約書に署名することになった。
この代理契約には、C子さん本人の「委任状」と「印鑑証明書」、そして「意思能力に問題がないことを示す診断書」が必要だった。
契約前日、仲介会社の担当者とAさんが施設を訪問し、C子さんから委任状に署名・捺印をもらった。
担当者はC子さんに「〇〇マンションを2450万円で売却することに同意されますか」と確認し、C子さんは「はい、売ってください。介護施設の費用に充てたいので」と明確に答えた。
この「意思確認」のプロセスが、後のトラブルを防ぐ鍵となる。
6月上旬、決済・引渡しが完了。
売却代金2450万円から仲介手数料・登記費用・その他諸費用を差し引いた手取りは約2280万円だった。
資金計画——介護費用と「何年分」持つかの計算
売却益2280万円は、C子さんの介護費用に充てられる。
C子さんの施設月額費用は約20万円(介護保険自己負担含む)。
年金収入14万円との差額は月6万円、年間72万円だ。
2280万円÷72万円=約31年分の資金が確保された計算になる。
C子さんが78歳であることを考えれば、十分な余裕がある。
さらに、3000万円特別控除が適用されたことで、譲渡所得税はゼロ。
もし特例が使えなければ、手取りは400万円以上減っていた。
Aさんは「期限管理」と「意思能力があるうちの売却」という二つの判断が、数百万円の価値を持ったと振り返る。
「備えの差」が結果を分ける——家族信託という選択肢
Aさんのケースでは、C子さんの意思能力が保たれていたため、通常の売却手続きで完了した。
しかし、もしC子さんの認知症が進行していたら、どうなっていたか。
家族信託を利用することで、親が認知症を発症しても子どもが財産管理をスムーズに行えるようになり、介護費用や入院代などの支払いを受託者が親の財産から適切に行うことが可能になる。
家族信託の場合は、受託者の判断で売却が可能なので、成年後見制度を使って自宅を売却する際に家庭裁判所の許可が下りなければ売却できないという問題を回避できる。
家族信託契約を締結しておくことで、たとえ親が認知症になったとしても、財産を任された子の判断で、スムーズに不動産売却を進めることができる。
ある大手仲介会社のシニア部門担当者は、「親御さんが70代後半になったら、家族信託の検討を始めるべき」と断言する。
費用は数十万円かかるが、認知症発症後の「凍結リスク」と後見人費用を考えれば、十分に元が取れる投資だ。
きょうだい間の「透明性」——売却後のトラブルを防ぐ
Aさんが最後にこだわったのは、売却プロセスの「透明性」だった。
査定書、媒介契約書、売買契約書、精算明細書——すべての書類をコピーし、弟と妹に共有した。
売却代金の入金口座は、C子さん名義の口座を維持し、通帳と印鑑はAさんが管理しつつ、定期的に残高と支出明細をきょうだいに報告している。
やむを得ず親の不動産を売却する場合は、遺産相続の対象になる親族の許可を得て、不動産売却で得たお金の使い道が分かるように、介護施設の資料や介護用品の領収書は必ず取っておくことが重要だ。
ある弁護士は「親の財産を管理する子どもが、他のきょうだいから『使い込み』を疑われるケースは非常に多い」と指摘する。
「透明性の確保」は、きょうだい間の信頼を維持し、将来の相続トラブルを防ぐ最大の防御策だ。
「時間軸」で考える——売却のベストタイミングとは
Aさんの事例から導き出される教訓は、「時間軸で売却を考える」という視点だ。
多くの人は「いくらで売れるか」という価格軸だけで判断する。
しかし、高齢親の不動産売却では、以下の時間軸が価格軸より重要になる。
一つ目は、3000万円特別控除の期限——施設入居から3年以内。
二つ目は、親の意思能力が保たれている期間——認知症発症前。
三つ目は、介護費用の資金が必要になるタイミング——施設入居後すぐ。
これらの時間軸を無視して「もう少し高く売れるかも」と待ち続けることは、スーパーで賞味期限切れ間近の食品を「もっと安くなるかも」と待ち続けるようなものだ。
待っている間に、商品は売り場から消えてしまう。
売主が今日からできる5つの行動
高齢の親を持つ読者に、今日から実践できる行動を示す。
第一に、親の意思能力を確認する。
物忘れが増えていないか、同じ話を繰り返していないか、日常的に観察する。
不安があれば、早めに専門医を受診させる。
第二に、実家マンションの査定を取る。
「今売ったらいくらになるか」を把握することが、すべての判断の起点となる。
査定は無料で、売却義務は生じない。
第三に、3000万円特別控除の期限を計算する。
親が施設に入居した日(または入居予定日)から3年後の12月31日が期限だ。
カレンダーに書き込んでおく。
第四に、きょうだいがいれば、早めに話し合いの場を持つ。
売却の必要性、売却益の使い道、管理の透明性確保——これらを「相続が発生する前」に合意しておく。
第五に、家族信託の検討を始める。
親が元気なうちでなければ契約できない。
費用と効果を天秤にかけ、必要であれば専門家に相談する。
編集部まとめ
Aさんのケースは、「3000万円特別控除の3年ルール」「認知症リスクへの備え」「介護費用の資金計画」という三つの課題を同時に解決した実践例である。
成功の鍵は、「現状維持バイアス」を乗り越え、時間軸で売却を考えたことにある。
高齢親の不動産売却は、「いつか」ではなく「いま」判断すべきテーマだ。
親の意思能力があるうちに、特例の期限内に、家族全員が納得する形で——この三つが揃えば、数百万円単位の損失を防ぐことができる。
これを知っていれば、あなたは「売り時を逃した」という後悔をしなくて済む。
執筆:マンション売却ジャーナル編集部




